東京地方裁判所 昭和41年(ヨ)2216号 判決 1967年11月20日
申請人 甲
右代理人弁護士 小見山繁
同 安達十郎
同 田代博之
被申請人 精工化学株式会社
右代表者代表取締役 三山俊一
右代理人弁護士 浅田清松
主文
本案判決確定にいたるまで、申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位を定める。
被申請人は申請人に対し四六六、五二〇円を支払い、かつ昭和四二年七月以降、本案判決確定にいたるまで、毎月二五日限り二一、八〇〇円ずつ支払え。
申請人のその余の申請を却下する。
申請費用は被申請人の負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 申請人の申立
主文第一、二項および第四項と同旨ならびに「被申請人は申請人に対し一三、〇八〇円を仮に支払え」との判決。
二 被申請人の申立
「申請人の本件申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする」との判決。
第二申請人の主張
≪以下事実省略≫
理由
一 申請人が昭和三六年二月ゴム薬品等の製造販売を業とする会社に事務職員として雇われ、当初その赤羽工場に、次いで、昭和三九年七月から志村工場に勤務していたこと、そして、会社が昭和四〇年九月一八日申請人に対し解雇する旨の意思表示をなし、翌一九日以降、申請人の就労を拒否し、賃金を支払わないことは当事者間に争いがない。
二 そこで、右解雇の意思表示につき、解雇事由の存否を考察し、併せて権利濫用の成否を判断する。
(一) まず、解雇事由に関する被申請人の前掲主張を以下、順次に検討する。
1 申請人が志村工場において少くとも庶務、および経理の事務を担当していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、申請人の担当する経理事務は原料、製品の出入庫および製造に関する伝票等の累計、記帳および報告書類の作成等を内容としたが、申請人は右事務の遂行上、基礎資料による計算を誤り、これがため帳簿または報告書類に数字上の誤記をしたことがあり、これを事後に発見した場合、工場に止め置かれる帖簿上の誤記については、その字面を刃物で削って訂正したことが一応認められる。
そして、≪証拠省略≫には申請人のさような過誤はその頻度が異常に高く、また工場長松原正英、先任事務職員山崎トモエまたは技術職員木川文男(以上の三名が申請人とともに志村工場の一〇坪位の事務室で執務しているものであることは本文挙示の証拠によって認められる。)が注意しても改まらず、かえって不満の態度をもって応えられた旨の供述ないし記載があり、また≪証拠省略≫には申請人の執務態度が平素から投げやりであって、信頼を置けなかった旨の記載があるが、右供述および記載部分は、いずれも≪証拠省略≫と対比するときは、いまだ疎明とするに足りない。
2 ≪証拠省略≫によれば、申請人は就業時間中、志村工場の事務室に設置された同工場唯一の電話器を使用して会社の業務に関係のない通話をしたことがあったことが一応認められる。
そして、≪証拠省略≫には申請人の私用通話は殆んど毎日、時には工場業務上最も電話器の必要な時間に、また一日のうち数度にわたって行われ目に余るものがあった旨の供述ないし記載があるが、右供述および記載部分は≪証拠省略≫に照して一応の疎明とするに足りない。
3 ≪証拠省略≫によれば、申請人は昼の休憩時間に殆んど毎日のように上司または同僚に断ることなく、右工場から外出し、時には午後の作業開始時刻までに帰着しなかったことが一応認められるが、右各証拠中、会社が右工場において休憩時間中の外出につき届出制を採用していたことを窺わせる部分は、にわかに採用し難く、また同じく松原工場長が申請人に、その外出につき事前の届出をなすべく注意した旨および申請人の作業再開遅刻の頻度が、しばしば、もしくは四、五日に一回位の割合であった旨の供述ないし記載部分は≪証拠省略≫に照しても一応の疎明とするに値しない。
4 ≪証拠省略≫によれば、会社の就業規則(昭和三九年八月一日施行)は正当な理由のない無断欠勤を懲戒処分(始末書徴収、資格降下、減給もしくは譴責)の事由と定め(四五条)、無断欠勤が引続き一五日以上に及ぶことを原則的に懲戒解雇の事由と定め(四六条)、一方、欠勤日を従業員の申出により年次有給休暇(以下年休という)に振り替えることもあると定めていた(三八条)ことが認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、申請人は志村工場において当時、従業員の出、欠に関する庶務的事務を担当し、従業員が書面によってする欠勤日の振り替え方申出を受け付け、先任者たる山崎トモエを経由し松原工場長の承認を得て処理していたこと、ところが、昭和四〇年八月一七日同工場の従業員田中英雄が無断で欠勤した同月一五日(当時、就労体制が変則二交替制であったため、同月一六日は同人の労働日でなかった。)につき年休振り替え方申出をしたのに対し、松原工場長が無断欠勤の理由に不審を抱いて、田中にこれを追究したうえ、そのやむを得なかった事情を裏付ける物証の提出を求めたので、近くにいた申請人は同工場長に対し従業員には当然休暇の権利があるとして、右工場長の処置を行きすぎではないかと問い質す趣旨の発言をし、右工場長をはじめ、先任の山崎事務員にたしなめられたことが一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫
しかし、≪証拠省略≫中、申請人が右発言を興奮のうちに大声でなしその際いずれが工場長か判らない程度に不遜な態度を示し、これがため松原工場長の田中に対する訓戒が妨げられた旨の記載ないし供述部分は≪証拠省略≫に比照すると一応の疎明とするに足りない。
なお、≪証拠省略≫によれば、申請人はその後同月一九日会社の従業員が組織する組合の職場大会において右工場長の処置を従前例をみない厳しい態度であるとして討議に付すべく要求したので、組合はこれを取上げ、田中の欠勤の年休振り替え方を会社に申入れ、会社も、これに応じたことが一応認められる。
5 ≪証拠省略≫によれば、会社は従業員の就労体制として同年九月六日から従前の変則二交替制に代えて三交替制を実施したが、申請人は同月一五日、昼の休憩時間中、右工場の休憩室において、右就労体制実施に伴う労働者の不利益を是正することを会社に要求すべきであるとして組合の組合長河原義男と激論を斗わせ、作業開始とともに、職場たる前記事務室に戻ったところ、右河原はその職場たる作業場には戻らず申請人の後を追って事務室に赴いたことが一応認められるが、右≪証拠省略≫中、申請人が、その直後から河原と争論を始め、松原工場長から制止されても、これに応ぜず、かえって反抗的になり、机上の書類を弄び、果てには歌を口ずさんだり、口笛を吹いたりした旨の記載ないし供述は≪証拠省略≫と対比して、一応の疎明とするに値せず、ほかに申請人が休憩中の議論の余憤を職場に持込んだことを認むべき疎明はない。
むしろ、≪証拠省略≫によれば、右河原は右事務室に立入ると直ぐ、申請人の前の空席に座って、休憩中の議論をむし返し始めたので、申請人はこれを避けるため事務室を離れ、従業員のタイム・カードの整理に当っていたこと、ところが、松原工場長は、その間に河原から休憩中の議論の内容を聞き、申請人を事務室に呼び戻して、申請人が三交替制実施に反対する筋合はないとして難詰したうえ、「なんだ、外部の手先になって、一方交通の電話なんかして。あんたは二言目には組合、組合という。家に帰って頭を冷しなさい」とどなり付け、申請人が、これに取り合はず、自席で執務しているのを見ると、興奮して「まだ、帰らないのか。早く帰りなさい」と叱り付け、「警察を呼ぼうか」とも口走ったこと、これに対し申請人は帰宅を命じられる理由がないとして、帰宅することなく、定時の終業時刻まで執務したこと、一方、河原は右事務室に一時間半位居座っていたが、松原工場長はその間、河原に対し職場に戻るべく命じなかったことが一応認められるのである。
(二) 次に申請人の解雇にいたる経緯に触れ、その当否に言及する。
1 ≪証拠省略≫によると、松原工場長は右同日申請人が帰宅を肯んじないところから、会社の本社に赴き、総務部長渡辺芳雄と相談し、翌一六日午前中には会社の各部長および他の工場長とともに組合の三役すなわち右事件の関係者たる河原組合長をはじめ副組合長西沢某および書記長府川某を交えて申請人の処遇について協議し、申請人が弱年の女子であることを考慮して一応任意退職を勧告し、応じないときは就業規則六条により通常解雇をもって臨むことを決め、同月一七日渡辺総務部長とともに申請人に退職を勧奨したが、徒労に終ったので、会社は申請人を解雇するにいたったものであることが一応認められる。
そして、前出≪証拠省略≫によれば会社の就業規則六条は通常解雇の事由として「如何なる業務にも不適当と認められるとき」(ニ号)、「その他前記に準ずるとき」(ヘ号)と定めていること(他の各号の事由は被申請人の主張に属せず、また内容的にも全く本件の場合と関係がないから省略する。)が一応認められる。
2 しかしながら、申請人が計算を誤って帖簿または報告書類に数字上の誤記をしたこと(前記(二)の1の所為)は経理事務を担当する職員としては極力避けなければならない過誤であるというべきであるが、さきに説示したように、その頻度および原因につき申請人を咎むべき事実が存したことの疎明はないから、右執務上の過誤をもって申請人の経理事務担当能力を疑うのは早計であって、もとより申請人が右業務に不適当であると認める根拠とはなし疑い。
次に申請人が就業時間中に会社の電話を利用して私用を果したこと(同2の所為)は会社の従業員として就業時間中は執務に専念すべき義務に違背するものというべきであるが、さきに説示したところから明らかなように、右所為によって申請人の執務自体もしくは志村工場の業務運営全体に支障が生じたことは勿論、その頻度が目に余り放置するに耐えないものであったことの疎明はないから、右私用通話を咎め立てるのは酷にすぎ、もとより、これをもって申請人が事務職員として不適格であると認むべき筋合はない。
また、申請人が昼の休憩時間に誰に断ることもなく外出し、時には午後の作業開始に遅刻したこと(同3の所為)は作業開始に遅刻した点において会社の従業員としての就労義務に違背するものというべきであるが、これによって右工場の業務が渋滞したことは勿論、放置し難いほど職場秩序が乱されたことの疎明がないことは、さきに説示したとおりであって、直属の上司たる工場長において注意を与えれば足りたものと考えるのが相当であり、まして、これをもって申請人の事務職員たるべき適格を一般的に否定すべき根拠とはなし難い。なお、申請人の外出が無断であった点においては会社が休憩時の外出につき届出制を採用していたことの疎明がない以上、労働基準法三四条三項が採用した休憩時間の自由利用の原則に照して、これを咎むべき筋合がない。
次に工場長が無断欠勤の従業員に、そのやむを得なかった事由につき物証の提出を求めたところ、申請人がこれに介入する発言をしたこと(同4の所為)は従業員として行きすぎであって、その場でたしなめられても仕方がなかったものというべきである。というのは、従業員の無断欠勤は正当の事由がない限り、就労義務の違背であるのは勿論であって、会社において、さきに説示したように、これを懲戒事由とし、したがって工場長が無断欠勤の正当事由を究明しようとしたのは、いずれも使用者として当然の措置であり、これに対し一般従業員が介入するのは余ほどの事情があるなら格別、さもない以上、当然には許されることではないからである。もっとも、会社において欠勤日を従業員の申出により年休に振り替える制度が存したことはさきに認定したとおりであるが、会社が正当の理由の備わらない無断欠勤を単純に年休に振り替えて済まさなければならない理由はないから、申請人が無断欠勤の理由を論外に置き、工場長の処置だけを問責するような発言をしたことをもって正当視することはできない。ただしかし、申請人の右所為は、さきに認定した事実から推しても上司に対する意見具申の域を出なかったものと認められるとともに、これによって工場長の業務遂行に支障が生じたことの疎明がないことはさきに説示したところによって明らかであるから、右所為の故に申請人を問責するのは酷にすぎ、まして申請人の事務職員としての不適格性を肯定すべきものとは考えられない。
したがって、以上の諸点はいずれも会社の就業規則が定める前記解雇事由に該当しないものというべきである。
そして、前記経緯に徴して申請人の解雇に直結したものとみられる被申請人主張の最後の解雇事由すなわち申請人の組合長との議論の余波ともいうべき事実(同5の事件)について、申請人に非難が向けられる筋合が全くないことは、さきに認定したところから明らかである。ただ申請人は工場長から帰宅を命じられても肯んぜず、終業時刻まで執務したが、これとて工場長の右命令に首肯し得る業務上の必要性があったものと考えられない以上、必ずしも非難に値しないのである。いわんや、申請人の右所為をもって右就業規則上の解雇事由に該当すると目し得るものではない。
しかるに、会社は右事件を契機として申請人の解雇を協議決定したのであるから、右事件の前記のような真相を省みると、右解雇は、むしろ就業規則の定める解雇事由とは全く別個の、しかも本来、会社の介入を許されない申請人の組合内部における言動を真実の動機としたものであると認めるのを相当する。
三 そうだとすれば、会社が申請人に対してなした解雇の意思表示は解雇権の濫用に当り、その効力を生じるに由がなく、申請人は会社に対し、なお労働契約に基づく権利を有するものというべきであるから、会社が解雇を理由に申請人の就労を拒否する限り、その就労不能は労務給付の債権者たる会社の責に帰すべき事由によるものというべきであって、その債務者たる申請人は反対給付たる賃金の支払を受ける権利を失わない。
そして、申請人が会社から毎月賃金として二一、八〇〇円の支払を受けていたこと、その賃金支払日が当月二五日の定めであったこと、会社が昭和四〇年九月一日から同月一八日までの賃金九、八〇一円を支払のため同月一八日申請人に提供したが、受領を拒絶されたので、同年一〇月二二日供託したことは当時者間に争いがない。したがって、会社は申請人に対する同年九月以降の賃金については同月一日から一八日までの分の支払を免れたものというべきであるが、同月一九日から三〇日までの分として計算上明らかな八、七二〇円および同年一〇月から本件口頭弁論終結時に弁済期の到来した昭和四二年六月までの分として計算上明らかな四五七、八〇〇円の支払義務があり、また同年七月以降の分として毎月二五日限り二一、八〇〇円ずつ支払うべき義務があるものである。
四 ところが、弁論の全趣旨によれば、申請人は会社から支給される賃金によって生活していたことが認められるから、ほかに特段の事情がない限り、会社から従業員としての地位を否定され、以上の未払賃金を即時に支払われず、また将来生ずべき賃金を、その支払日に支払われないときは、生活に窮し著るしい損害を蒙る虞があるものと推認するのが相当である。
五 よって、本件仮処分申請は被保全権利の存在につき、さきに説示した限度において疎明を得、また、これが保全の必要性についても疎明を得たから、申請人に保証をたてさせることなく、主文第一、二項記載の処分を命じるのを相当と認め、一方、申請人主張のその余の被保全権利については、その存在の疎明がないことに帰し、保証をたてさせて、これを保全するのも相当でないから、右部分の申請を却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 駒田駿太郎 裁判官 宮本増 田中康久)